初恋
(前編)
「……あれ?なんだか、うっそうとしたところに出たなあ。いったい、どっちだろ。……もう完全に迷子だよ……」
クルドは泣き言を漏らし、ため息をついた。
まだ大教会来て1週間。
あまりにも敷地が広すぎて、いったんおかしな所に迷い込むと、何がどこにあるのかさっぱりわからなくなる。
「えーと……見習い神官の宿舎に戻るには……」
クルドはあたりを見渡した。
大きな樹木が所々に植えられた庭。所々に聖人像が立っていたりするのだが、どこも似たような風景で見分けがつかない。いったい今は大教会の敷地のどのあたりにいるのだろう?
「確かもっと北だったような。お日様があっちに出てるから方向としては、あの茂みを抜ければいいはず……だよね?」
誰もいないことはわかっているが、クルドは思わず疑問形で呟いた。
自分で口にしながら、すごく自信がない。
動けば動くほど悪化している気もしたが、でもしょうがない。こんなところでいつまでも、じっとしているわけにもいかないし。せめて誰か通りかかったりしてくれれば道を聞けるのだけど。
「誰もいないんだよね。困ったことに」
自分でどうにかするしかない。
クルドは覚悟を決めて、茂みの奥へと続く細道に入っていった。
……やっぱりこっちじゃなかったのかも。
しばらく進むうちに、クルドは段々不安になってきた。
「引き返した方がいいのかな?」
クルドが小さく呟いた時だった。
「……っ……ふっ……」
本当に僅かに、声とも呼べないような声が聞こえた。見れば小道の先が少し開けていて、小さな広場がある。声はそこから聞こえたようだった。
誰かいる!これで道が聞ける!
クルドは声のした方に急いだ。
木々の葉の向こう。
小さな噴水が目に入った。
その噴水の側に誰かが座り込んでいる。
不思議な色の、美しい長い髪。青みがかった銀の髪は日の光をうけるときらきらと虹色に輝いた。
大教会には珍しく女性だ。それもその華奢な後ろ姿からいって、たぶんまだ少女と言っていいぐらいの。草の上にぺたりと座り込んでいる少女の肩は震え、時々鼻を啜る音がする。どうやら泣いているらしい。
道を聞くつもりだったが、相手が泣いている真っ最中なのを知って、クルドは声をかけるのが躊躇われた。
……どうしよう。でも、引き返してもしかたがないし……他に誰にも会いそうもないし。
道を聞きたいけど……でも、泣いてるみたいだ。
絹糸のような青みがかった銀の髪は、少女が肩を震わせるたびに、波打つように揺れてきらめいた。クルドは不思議な色の美しい髪の持ち主をもっとよく見たくて、少女に気づかれぬようにそうっと覗きこんでみた。音を立てないように気をつけたつもりだった。だが、まずいことに足元に落ちていた小枝を踏んでいた。乾燥していた小枝は、ポキリと音をたてて折れた。
その音に泣いていた少女が、弾かれたように振り返った。不思議な色の髪がふわりと翻った。雪のように白い肌にふっくらとした赤い唇。滑らかな頬を儚げに伝っている涙。髪と同じ色の、潤んだ大きな瞳がクルドをまっすぐと捉らえた。
クルドはその美しさにはっとした。呼吸を忘れ、少女をじっと見つめる。
少女は同じくクルドをじっと見返して、それから、直後にかあっと頬を赤らめた。慌てて涙を拭う。
クルドより歳は2、3歳上のようだったが、その様子は年下のクルドから見てもひどくかわいらしかった。
クルドの動悸は速まった。なんと声をかければいいのかわからなくてクルドは焦った。
「あ、あの……そのごめんなさい!別に覗こうと思った訳じゃないっていうか、ちょっと道に迷ってうろうろしていたらたまたま見かけちゃったというか」
「……」
少女は沈黙している。
「……あ……でも見かけてからは気になってちょっと覗いちゃいました。そ、その……ごめんなさい」
クルドがぺこりと頭を下げると、少女は大きな瞳をしばたたかせ――それからふわりと笑った。
クルドの心臓は跳ね上がった。
少女は笑うとまたいっそう可愛いらしく可憐だった。
大輪の花が咲いたような……というのはこういう時に使うんだな、とクルドはぽうっとしながら思った。
「……私の方こそ驚かせてしまってごめんなさい。ええと……これはその泣いていたのではなくて……そ、そのちょっと目に大きなゴミが入ったのです」
外見にぴったりの綺麗な声で、少女はどう見ても無理な言い訳を大まじめに言った。それで押し通してごまかすつもりらしい。どう考えてもゴミがはいったぐらいでしゃくりあげるわけはないのだけれど。それでごまかすつもりのあたり、どうやらかなりの天然のようだ。
「……は、はあ。ゴミなんですか。……え、えーと……目に入ると痛いですよね。特に大きいやつは」
クルドは仕方なく頑張って、目を泳がせながら苦しい相槌をうった。さすがに少女もクルドが無理をしているのを察したのだろう。頬を赤らめ、同じく目を逸らしながら、それでもうなづいた。
「そ、そう……大きなゴミだったのです」
とうやら意地でもゴミのせいにしておきたいらしい。
……いったい何をあんなに泣いていたのだろう。こんな所に隠れるようにして。
本当は聞いてみたかったが、会ったばかりの少女にあまり込み入ったことを聞くのはためらわれた。
それにそんなことをして、出会ったばかりのこの少女に嫌われたくはなかった。
出会ってからほんの数分。その数分のうちに、クルドはこの年上の美しい少女のことが気になって仕方がなくなっていた。
クルドはドキドキしてあまりまともに働かなくなった頭で、何か話すことはないかと話題を探した。
「ええと……あ……そうだ!……僕はクルドって言います。入ったばっかりの見習い神官なんです。……それで実は道に迷っちゃって・・見習い神官の宿舎ってどっちに行けばいいかわかりますか?もしわかるようなら、教えてもらえると助かります!」
少女は瞬きをして、首を傾げた。
「……見習い神官の宿舎、ですか?……全然方向が違いますけれど……」
「え!……やっぱりそうなんですか!?」
クルドが少し赤くなって言うと、少女はくすりと笑った。
「少し待ってくださいね。……紙もペンもないから、これで……」
言って、地面に小枝で地図を描き始める。
「たぶん、ここで小道を逆に曲がってしまったのだと思います。この大教会の敷地はとても広いし、似たような庭や小道が多いから、慣れないうちは迷いやすいのです。それにこういう大きな木々がまとまって生えてるところや、茂みは視界が遮られて、とくに迷いやすいですから慣れるまではあまり近づかない方がいいと思います」
クルドはわかりやすく描いてもらった地図を見て感嘆した。
この少女は大教会の敷地にすごく詳しいようだ。
「あ、ありがとうございます!やった……!これで帰れる……」
「よかったです。気をつけて帰ってくださいね」
少女は言って、立ち上がった。
「私もそろそろも戻らないと。……また、どこかであったらよろしくお願いしますね。クルド」
少女は首を少し傾げて、にっこりと微笑んで言った。
その綺麗な微笑と、少女に自分の名前を呼ばれたということに、クルドはぽーっとなった。
「……は、はい……」
ちょっとのあいだぼーっとして少女の後姿が消えていくのを見守っていたクルドは、はっと気づいて、首を振った。
そうだ!まだ名前を聞いてない。
「……あ、あのっ」
慌てて少女の行った方を探したが、既に少女の姿はなかった。大教会の敷地には詳しそうだったし、きっとまたどこかの小道に入ってしまったのだろう。後を追いかけて探しまわりたかったが……それをやると少女に会えるどころか、せっかく道を教えてもらったのにまた迷子になりそうだ。
「……名前……聞いておけばよかったな」
心底悔やまれたが、後の祭りだった。
――日の光にきらきらと反射した美しい長い髪。
振り返った時の無防備な表情。
涙に濡れた大きな瞳と、ふっくらとした赤い唇。
赤くなって、慌てて目を擦っていた時の、年上とは思えない可愛らしいしぐさ。
真顔でゴミが入ったと言い切った天然さ。
ふわりと浮かべた柔らかな優しい微笑。
ほんの短時間だったというのに、少女の存在はクルドの胸に深く刻み込まれていた。
「はあ……」
名前を聞き忘れたことに、クルドは大きな後悔のため息をついた。
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